大判例

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最高裁判所大法廷 昭和30年(れ)3号 判決 1957年12月28日

主文

本件各上告を棄却する。

理由

被告人田村辰雄、同浜浦金之助、同吉田三太郎に関する検察官草鹿浅之介の上告受理申立理由について。

所論は、原判決が判示(二)の一率三割減車及び職場離脱の教唆行為の公訴事実を、昭和二三年政令二〇一号(以下単に本件政令という。)公布前の行為であると認定した法令上の見解を誤った違法があるというのである。

思うに、成文の法令が一般的に国民に対し現実にその拘束力を発動する(施行せられる)ためには、その法令の内容が一般国民の知りうべき状態に置かれることが前提要件とせられるのであって、このことは、近代民主国家における法治主義の要請からいって、まさにかくあるべきことといわなければならない。わが国においては、明治初年以来、法令の内容を一般国民の知りうべき状態に置く方法として法令公布の制度を採用し、これを法令施行の前提要件として来たことは、明治初年以来の法制を通じ窺えるところであり、現行制度の下においても同様の立前を採用していることは、日本国憲法七条一号が、法律、政令等の公布について規定を置いているところから知ることができ、またこの公布行為が、国家の公の行為とされていることも、公布を天皇の国事行為の一として定めた日本国憲法の前記条項によって明らかである。

ところで、法令の公布の方法については、明治憲法下においては明治四〇年勅令六号公式令により法令の公布は官報をもってする旨が定められていたのであるが(同令一二条)、右公式令は、日本国憲法施行と同時に、昭和二二年五月三日廃止せられ、そしてこれに代わるべき法令公布の方法に関する一般的規定は未だ定められていない。即ち、公式令の廃止後は、法令公布の方法については、一般的な法令の規定を欠くに至ったのであって、実際の取扱としては、公式令廃止後も、法令の公布を官報をもってする従前の方法が行われて来たことは顕著な事実ではあるが、これをもって直ちに、公式令廃止後も法令の公布は官報によるとの不文律が存在しているとまでは云いえないことは所論のとおりであり、今日においては法令の公布が、官報による以外の方法でなされることを絶対に認め得ないとまで云うことはできないであろう。しかしながら、公式令廃止後の実際の取扱としては、法令の公布は従前通り官報によってなされて来ていることは上述したとおりであり、特に国家がこれに代わる他の適当な方法をもって法令の公布を行うものであることが明らかな場合でない限りは、法令の公布は従前通り、官報をもってせられるものと解するのが相当であって、たとえ事実上法令の内容が一般国民の知りうる状態に置かれえたとしても、いまだ法令の公布があったとすることはできない。

所論は、「法令の公布は官報を以ってすると云ふ公布の方式を定めた公式令は、昭和二二年五月三日廃止されて、その後は法令公布の方法がなくなったのであるから、事実上国家の意志が国民に表示された時を以って法令の公布があったものと解するを相当とする。この表示の手段として国民一般に知り得る機会を与えるに適したものは、現時に於ては印刷の方法によるものと、ラジオ放送の方法によるものとが考えられるが、法令は公式令廃止後も官報に印刷して発行する一方、主要法令はラジオ・ニュースとして発表されて来たのであるから、この両者の方法相補って事実上国民に法令の内容を知り得る機会を与えたときに、法令の公布があったものとなすべきである。……中略……本件政令の公布迄の経過概要は次の様であった。昭和二三年七月二二日当時の内閣総理大臣芦田均に国家公務員法改正に関するマッカーサー元帥の書簡が交付され、政府は翌二三日右書簡全文を発表し、当時この全文は全国の新聞紙に掲載報道されて居り、又その頃総司令部係官の、この書簡は直ちに効力を発生する旨の見解も新聞紙に掲載発表せられ、かくて同月三〇日閣議決定により本件政令が成立し翌三一日公布の手段がとられた上、同日午後九時三〇分から四五分迄のニュース放送時間に、政令の全文ならびに即日施行の旨が全国に発表されたのである。この経過から見れば、国民は前示三一日のラジオ放送終了の時を以って事実上本件政令を知り得る機会を与えられたものと解するのが最も妥当である。故に本件政令は昭和二三年八月二日に印刷完了の上発送せられたものであっても、以上の理由によって同年七月三一日公布施行せられたものと解すべきである。」という。しかし、当裁判所が職権をもって調査したところによれば、日本放送協会が昭和二三年七月三一日午後九時三〇分の全国向けニュース放送でした本件政令の報道が、日本国政府の依嘱又は命令によりなされたものであること及び右放送による方法が、法令の内容を一般国民に知りうる状態に置くに足る適当な方法であることについては何らこれを肯認するに足る資料なく、右放送は、日本放送協会が自ら取材し、自主的にしたものと認められる本件においては、所論のように、右放送によって本件政令の公布があったものとは到底認めることはできないのである。

次に、本件政令はその附則に「この政令は、公布の日から、これを施行する」との規定を置いているのであるが、原審の認定したところによれば、本件政令は昭和二三年七月三一日附官報号外に登載せられ、右官報号外は同年八月二日午前九時三〇分印刷を完了し、同日午後一時三〇分頃発送の手続をしたというのである。果してしからば、本件政令の登載せられた官報号外の日附の日である同年七月三一日には、右官報号外は未だ印刷も完了しておらず、ましてその発送にも着手していなかったのであるから、右七月三一日は本件政令の公布前であることは明瞭であって、この日をもって、本件政令の公布の日とすることを得ない。それ故原判決は結局正当であって、所論は採るを得ない。

被告人田村辰雄外一八名の弁護人杉之原舜一の上告趣意について。

所論は違憲をいうが、昭和二三年政令二〇一号は違憲でないこと及び昭和二三年法律二二二号国家公務員法の一部を改正する法律附則八条は、国有鉄道法、公共企業体労働関係法が施行され、国鉄従業員が国家公務員たる身分を失い、且つ、その争議行為について罰則の規定がなくなった後においても、その国家公務員たる身分を有していた当時の昭和二三年政令二〇一号二条一項の違反行為に対する罰則の適用については、依然として同令三条によるべきものであることを、その法意とするものであり、犯罪後の法令により刑の廃止があった場合に当らないと解すべきことは、共に当裁判所の判例とするところであって(昭和二四年(れ)六八五号、同二八年四月八日大法廷判決、集七巻四号七七五頁以下)、今これを変更する必要は認められない。それ故、所論は採るを得ない。

よって、刑訴施行法三条の二、刑訴四〇八条により主文のとおり判決する。

この判決は、裁判官真野毅、同斎藤悠輔、同池田克の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

検察官の上告受理申立理由についての裁判官斎藤悠輔の反対意見は、次のとおりである。

本件控訴事実(原判示の判示二の職場離脱の教唆行為の公訴事実)の要旨は、被告人田村辰雄、同浜浦金之助、同吉田三太郎等は昭和二三年七月三一日他の闘争委員と相謀り発した指令第百号に基き争議指導のため土井尚義、福本通等をオルグとして派遣し同年八月四日及五日の新得分会機関区班乗務員会において職場抛棄を慫慂せしめ因て離脱を決意した伊藤竹松等乗務員六十数名をして同月六日より一斉に職場を離脱させたというのである。されば、教唆行為の本質上本件被告人等の行為の時は実行行為の時である昭和二三年八月六日であり、少なくとも同年同月四日以後であること公訴状の記載に照し明白である。従って、本件政令が昭和二三年七月三一日公布されたものでないという理由だけで直ちに本件検察官の上告理由を排斥した多数説は、教唆の本質を理解しない見解であるばかりでなく、本件公訴事実を曲解し且つ理由自体において本件政令公布の日を確定しない理由不備の違法ある見解といわざるを得ない。

検察官の上告受理申立理由についての裁判官池田克の反対意見は、次のとおりである。

自分は、斎藤裁判官の反対意見に同調する。

なお、本件は、仮りに、被告人等のした職場離脱の教唆行為の時が昭和二三年七月三一日であり、且つ、それが原判示のように本件政令の公布(同年八月二日)前であったとしても、本件公訴事実によれば、被告人等は、本件争議指導のため派遣したオルグ等をして本件政令公布後の同月四日及び五日新得分会機関区班乗務員会において職場抛棄を慫慂せしめ、因て離脱を決意した乗務員等をして同月六日より一斉に職場を離脱させたというのであるから、被告人等には、右結果の発生を防止する法律上の義務があったものといわなければならない。それにも拘らず右義務に違反し右結果の発生を防止しなかったことが窺われる本件においては、多数意見のように、本件政令が昭和二三年七月三一日公布されたものでないという理由のみで直ちに検察官の上告理由を排斥することは、許容されるべきでない。

弁護人杉之原舜一の上告趣意に対する裁判官真野毅の反対意見は、次のとおりである。(ただし、被告人田村辰雄、同浜浦金之助、同吉田三太郎に関する検察官草鹿浅之介の上告受理申立理由に対する判断には賛成である)。

多数意見は、田村辰雄の外一八名の犯行については、犯罪後の法令により刑の廃止があった場合に当らないと解すべきであるというが、わたくしは本件の場合には刑の廃止があったものと解するを相当と考える。なぜならば、本件犯行当時の刑罰法規については、第一次の改正(昭和二三年一二月三日公布施行)においては、従前の行為については従前の例によるとの経過規定が設けられていたが、第二次の改正(昭和二三年一二月二〇日公布、同二四年六月一日施行の日本国有鉄道法及び公共企業体労働関係法)においては、かかる従前の例によるという経過規定は設けられていないからである(その詳細は、さきに判例集七巻四号八〇七頁以下に少数意見として述べたところを引用する)。法令改廃の場合には、「従前の行為に関する罰則の適用については、なお、従前の例による」という趣旨の経過規定を附則として設けることがありまた設けないことがある。わたくしは、かような附則の意義は、゛法令改廃の後においても、その改廃以前に行われた犯行に対しては、その限度において相対的・部分的に法令の改廃はなく、なお改廃前の法令が効力を持続し適用されることを意味するもので“ある”、と右少数意見の中に述べたことであった。最近の昭和三二年一一月二七日大法廷判決(昭和二六年(れ)一四五二号)は、“従前の行為に関する罰則の適用については、なお、従前の例によるものとした場合には、従前の行為に関する限り刑罰規定については何等の変更を見ないのであるから、刑法六条はその適用の余地がないものといわなければならない”、と判示するに至った。この道理を推すと、法令の改廃が本件のように二度行われ、第一次の際には前記附則があって刑法六条の適用の問題が起らなくとも、第二次の際には前記附則がないときは、刑法六条の適用があり、刑の廃止があったことになるのは当然過ぎるほどの当然ではなかろうか。それ故、本件犯行に対しては前記第二次の法令改廃により刑の廃止があったことになり、本件では原判決を破棄し、被告人らに対して免訴を言い渡すを相当と考える。

(裁判長裁判官 田中耕太郎 裁判官 真野毅 裁判官 小谷勝重 裁判官 島 保 裁判官 斎藤悠輔 裁判官 藤田八郎 裁判官 河村又介 裁判官 小林俊三 裁判官 入江俊郎 裁判官 池田克 裁判官 垂水克己 裁判官 河村大助 裁判官 下飯坂潤夫 裁判官 奥野健一 裁判官 高橋潔)

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